記事元:ヒトサラMAGAZINE
今アツいフレンチシェフに迫る連載。今回は、オープンから1年弱でミシュランの一つ星に輝いた【シエル エ ソル】の音羽創氏。修行を重ねながら、料理だけでなく経営者としての嗅覚も磨いていく。時代の変化に流されず成長し続ける、次世代シェフにインタビューした。
CHEF’S EYE
✔陸上選手からシェフへ。偉大なる料理人を父に持つ子供が将来を決めたきっかけ
✔それぞれの師から学んだ、夢を実現していくための力
✔「奈良の魅力」を発信するために、ビデオ通話で野菜を仕入れ、SNSで人脈を作る
陸上選手からシェフへ。偉大なる料理人を父に持つ子供が将来を決めたきっかけ
栃木県宇都宮出身。父親は、フランス料理界の先駆者ともいえる【オトワレストラン】の音羽和紀氏。そして同店の現シェフを務める音羽元氏を兄にもつ。
高校卒業後、宮城県【シェヌー】の赤間善久氏に師事した後、神楽坂【ル・マンジュ・トゥー】の谷昇氏の元で研鑽を積む。その後、父の店である【オトワレストラン】を経て、渡仏。2010年に帰国し、宇都宮の【オトワキッチン】料理長、【シテ・オーベルジュ】責任者を務めた後、2016年に料理長として【シエル エ ソル】のシェフに就任。奈良の食材をつかった料理でその魅力を発信している。
偉大なる料理人の父の後ろ姿を見て育った子供時代。昔から“料理人になりたかったのですか?”という問いに対し“全然”と笑う。学生時代は陸上選手として活躍し、そのまま大学進学を考えていたという。それが父に連れていかれたイタリアでの体験をきっかけに、料理人を志すようになる。
「小学生のころから兄や妹は父と一緒に海外に行っていましたが、僕は学生時代、部活に熱中していてあまりそういう機会もありませんでした。
高校二年生のときに、はじめて連れて行ってもらえたイタリアで、パルマのひとつ星レストランでの、イタリア人、フランス人、日本人の3人のシェフのコラボイベントに参加しました。父以外の2人のシェフは、スタッフやスーシェフを連れてきて仕事をしている中、父が連れてきたのは僕だけ。わけもわからず厨房に立ちました。料理を出し終えた後、ゲストの前に父と出たときに大勢の海外の方がスタンディングオベーションで盛大な拍手を送ってくれた。それを見て、うわ、僕の父はすごいんだ! と改めて思いました。その体験が料理人になりたいと思った大きなきっかけです」。
それぞれの師から学んだ、夢を実現していくための力
帰国後、料理人を目指すようになった音羽氏。高校卒業後、宮城の【シェヌー】で4年半、東京の【ル・マンジュ・トゥー】で約3年、料理の現場を学ぶ。
「【シェヌー】で学んだのはチーム力ですね。シェフはもちろん、当時いらした二番手の方から大きな影響を受けました。その方は常にポジティブなモチベーションを持ちながらフラットな姿勢を崩さない。シェフからの信頼も厚く、その方がいることによってシェフの指示がなめらかにきれいにオーガナイズされていく。一緒に働けたのは本当によかったと思いました。
それから、魚介の扱う量がすごく多かったので、いろんな魚の扱いを学んだことは確実に武器になりました」。
しかし、次の修行先となった【ル・マンジュ・トゥー】では、身に着けた魚介の知識以外のほとんどが通用しなかったという。
「フランス料理の基本を再度叩き込まれました。一番体に染み付いたのは、とにかく、キチッと完璧にやらなくちゃいけないということですね。谷シェフは厳しい方で、自分は甘かったと気づきました。技術的な面では食材の処理の仕方は勉強になりました。無駄にする食材はほとんどなかったですから。また『ジュ・ド・オマール』や、『フォンド・ボー』など本当においしかったですし、フランス料理の基礎の精度を高め、自身の技術の幅を増やすことができました」。
一人の力ではなく、チーム力で店を作っていきたいと語る音羽創シェフ【ル・マンジュ・トゥー】での修行を終えた後、渡仏。アヌシーの【Le Belvédère(ベルヴェデール)】で働く。
「渡仏の目的は、料理を学びに行くというより“フランス語を勉強する”ことでした。父がよく“10年たったら料理はサビつく”と言うのですが、僕が初めてフランス料理をやったころと世の中の料理は本当に変わっていた。料理そのものよりも、フランスに定期的に行ける環境を作ることが重要だと思いました。【Le Belvédère】はもともとビストロだったのですが、息子さんの代になってガストロノミーに舵を切り、ミシュランの星を取った。代が変わって方向性を変えていく経営の方法なども非常に勉強になりました」。
クラシックなフレンチにある「牡蠣と牛肉」の組み合わせは“サシがある牛肉のほうが牡蠣との相性がいい”と音羽さん。A5ランクの大和牛ならではの一品そして2010年、【オトワキッチン】の立ち上げに際しフランスから帰国。父親の音羽和紀氏の元では、スタッフとのやりとりや店のオーガナイズの仕方に影響をうけたという。
「父からは考え方を学びました。僕は毎週【四季島】に乗っているので店にいないこともあるのですが、その間のクオリティや、スタッフのモチベーションをどう保つかを考えるんですね。料理を追いかけつつ、でも俯瞰して店のありかたをどう整えることができるか、自分が他で学んだことをどう店に落とし込んでいくか。長い目でみたら、時代がどんどん変わるなかで変化に対応できずに自分が一歩も動けないというのでは、その先成長できないと思うんです。僕は天才でもないですし。そういう中、父親の話はとても腑に落ちることが多いんです。」
料理人としてだけでなく、経営者として俯瞰して店を考えるという目線は、音羽氏の兄である【オトワレストラン】のシェフ、音羽元氏の存在も大きい。
「兄はどちらかというと職人肌ですし、しっかりと本店のシェフとして僕にはできない料理観を持っているので、そこを突っ走ってほしい。僕は職人としてマニアックに突き詰める部分と、組織でものを動かすということ両方に興味があるので、料理以外のことも俯瞰して整えつつ、料理人として経営者としてバランスが取れればと思っています。」
「奈良の魅力」を発信するために、ビデオ通話で野菜を仕入れ、SNSで人脈を作る
そして、2016年、音羽和紀氏が奈良と縁があったことで、奈良県が運営する【シエル エ ソル】のシェフとなる。県産の食材をふんだんに使った料理で“奈良の魅力をPRする”ため、食材集めは試行錯誤をしながらルートを開拓していった。
「最初は本当に大変でした。県のマーケティング課の職員の方と連携し、奈良の直売所を周ってもらってLINEの電話でビデオ通話しながら野菜を仕入れたりしています。ほかにも、気になる地物のハーブを使っていた面識のない奈良のレストランシェフに、SNSでダイレクトメッセージを送って食材について教えてもらったりしました」。
今日仕入れた採れたて野菜。ほとんどが奈良から直送。カリフラワーととうもろこしだけ栃木産 奈良から離れた東京の地で“奈良県”らしさをどう感じてもらうか。その難しい課題に、
変化しながら今も考え続けているという音羽氏。
「“奈良らしさってなに?”って自問してもはっきりとした正解はでてこない。これからやりたいことはたくさんありますが、今は欲張らずにテーブルの上で奈良県を感じる“エッセンス”を作れればいいと思っています。料理の食材はもちろん、話題にあがっている奈良の日本酒をメニューに出したり、素麺を料理に使ったり。でも、僕が作るのはフランス料理ですから、奈良らしい食材を使った上で、フランス料理ならではの香りの組み合わせを大切にして料理を作っています」。
今後どんなことにチャレンジしたいかと問うと、「“地産のものだから”という理由ではなく、“食材として素晴らしいものだから”と、料理人が自然と使いたくなる良質な農産物を生産者さんとともに作っていきたい」と語る。
料理人と経営者、2つの目線をバランスよくもった次世代のシェフが発信する“奈良の伝統食材とフレンチの伝統的な手法の融合”から、今後も目が離せない。
シエル エ ソルの店舗情報
音羽氏はフォーカスシェフとしてフランスレストランウィークに参加。酒粕を使ったデザートや、昆布出汁で味を下支えした料理などを提供する。「和食材を使った、ナチュラルで日本人らしいフレンチをお楽しみください」。
提供元: ヒトサラマガジン[hitosara magazine]
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取材・文/ヒトサラ編集部